活動情報

1/31(土)歌×ライブペイント「1×8 is unknown」ライブ




歌×ライブペイント「1×8 is unknown」発進します!


御詠歌の歌い手であるシンガーソングライター一路八と、巫女舞の踊り手である絵師さくやが、パフォーマンスユニットを組みました。


ユニット名は「1×8 is unknown(ワン バイ エイト イズ アンノウン)」


いちかばちか、やってみなければわからない。


パフォーマンスはオリジナル。一つ一つがその場かぎりの一発勝負。同じものは二度とありません。


歌×ライブペイント「1×8 is unknown」初ライブ。


その生まれる世界を、どうぞご覧下さいませ。


【1×8 is unknown】
☆一路八:music,vocal☆
宮城県出身
真言宗金剛流御詠歌金剛講所属。シンガーソングライター
バンド活動を経て、ソロシンガーに。御詠歌をベースにした土着の世界観と歌唱法を基に、ジャンルに捕らわれない音楽活動を展開している。

☆さくや:dance,paint☆
新潟県出身
ダンサー、絵師。
30代半ばでベリーダンサーから巫女舞の踊り手に。毎年都内にある神社で舞の奉納を任されている。
自然界に息づく美しいうねりを描きだす絵師でもあり、舞いながら描くライブペイントを開始した。


ご観覧希望の方は、一路八までご連絡下さいませ。

sahobright★gmail.com
★を@に変えてお送り下さい。


ご来場お待ちしております!



【イベント詳細】


〜日本の素敵を届けます〜菅沼萌恵produce、liveパフォーマンス企画

【和らいぶ*vol.12】


○ご案内
美味しいお食事・お飲み物を頂きながら、'和×輪'をテーマにしたliveパフォーマンスを心行くまで楽しんで頂けるliveです。

おひとりさまでも、どうぞお気軽にお立ち寄り下さい♪
途中入場もOKです☆

「また帰って来たくなる空間」を皆さまと*


○日時
2015年1月31日(土)
12:00開場/12:30開演

○場所
レストラン パペラ
http://currypapera.moo.jp/

○アクセス
160-0022
新宿区新宿2-8-1新宿セブンビル2F
※東京メトロ丸ノ内線「新宿御苑前」駅1番出口より徒歩1分。

○入場料
2500円+1オーダー


○パフォーマンス内容
歌/朗読/和太鼓の生演奏/ダンス/ライブペイント


○出演者
小沼枝里子
山崎愛実
以上、劇団熱血天使

澁谷えりか(アイリンク株式会社)

女性和太鼓ユニット「ゆかり達」

保志乃弓季(GAIA art entertainment)

歌×ライブペイントパフォーマンス「1×8 is unknown」




○和らいぶ公式HP
http://walive.okoshi-yasu.com/

○衣装、制作協力
劇団熱血天使
http://nekketsutenshi.web.fc2.com/index.html

○ご予約
メッセージかコメントにて承っております。お名前・枚数を明記の上、ご連絡願います。
活動情報

あけましておめでとうございます




あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。


明けて5日立っちゃいましたけど、もうすぐ、1年の2%が終わってしまいますけど、まだ、スタート気分は続いております。わくわくしてる。


今年は、どんどん表に出ていこうと思っています。


とりあえず、3月までの予定は埋まっており。
事務所とも、今年の目標、それに伴うタスクの見立てが大体立って、戦々恐々としております。


今年最初のライブは2月8日のソロライブの予定でしたが、変わって1月31日になりました。


私の敬愛するダンサーであり絵師であり、無二の友である、さくやとのコラボユニットでのライブをします。


音楽を私が担当し、ライブペイントをさくやが担当する、女性二人のユニットです。


さくやちゃんは、ベリーダンサーから巫女舞の踊り手になった異色のダンサーで、かつて漫画家としてプロデビューしてる絵師でもあります。


絵も舞もおっそろしいほど個性的で神秘的で突き抜けててすごいです。


ぜひぜひ、お越し下さいませ。


で、2月8日は、おなじみIwooNOGATAでのソロライブです。
今回は、今まで発表した曲に、しっかりオケをつけての音源でのライブになります。


オケは私の大好きな大好きなコンポーザー達が作ってくれます。もう、これだけで、テンションだだ上がり!!オケだけでも聴く価値あり!!ボーカル負けないようにがんばります!!


3月は、まだ企画中ですが、日にちはもう決まっています。


3月11日。


私としては初めてになる、企画イベントをやります。


東日本大震災から4年。今の私にできることをやろうと思います。


あの日、起きたこと、生まれてしまったいくつもの物語を忘れないために。


本当に、忙しい一年になりそうです。
どうか、これからも、よろしくお願いいたします。


一路八拝
活動情報

2015年2月8日一路八ソロライブ

一路八ソロライブやります☆

2015年は走っていきます!
年明け最初のソロライブを2月8日にやります。
今回も、全曲オリジナルでお届けします!!

行ってやんよ☆というあたたかい皆様、お待ちしております。
ご不明な点がありましたら、遠慮なくご質問下さいませ!

【一路八プロフィール】
宮城県石巻市出身。
辨天堂、金剛流御詠歌金剛講所属。
シンガーソングライター。
1300年前より続く伝統音楽である御詠歌をベースに、ジャンルに捕らわれない音楽活動を展開している。

【sunrise woo】
2月8日(日)
OPEN 12:30
START 12:40
場所 IwooNOGATA
http://www.iwoo-nogata.com/
チケット ¥2000(ドリンク代別途¥500)

☆一路八の出演順は未定です。
決定次第ご連絡いたします。
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1130


昨日、書き込みをした後で気がついた。




次のライブは11月30日。
数字の1130をひっくり返すと311になるな、と。0を取ればだけど。



私を大きくひっくり返した311。
それがまた返った日に歌うなんて、何だか粋で、しみじみする。


何か。
忘れられない何かが生まれる日になるといいなと思います。


☆一路八ソロライブやります☆
【sunrise woo】
11月30日(日)
OPEN 12:30
START 12:40
場所 IwooNOGATA
http://www.iwoo-nogata.com/
チケット ¥2000(ドリンク代別途¥500)



☆一路八の出演は、14時前後になります。
20分前くらいにお越しいただけると確実です。




音楽


絶賛作曲中です。




こうして、ライブを控えて曲を作ったり、身体を整えたりしていると、ああここまで来てたんだなあと、感慨深い気持ちになります。




特に、棘のない落ち着いた緊張感を持っていられることが、本当にありがたい。





ここ2年ほど、必ずライブの最後に歌っている曲があります。




私が生まれて初めて作詞作曲した曲「開」です。




何があっても、どんなことが起きても、この曲で私は私を取り戻すことができる。




私の原点である曲です。




2011年3月11日。
私の生まれ故郷である石巻が大きな地震と津波に飲み込まれました。




私の育った家も、流されはしなかったものの、一階がすべて水に浸かり、30年続いた父の病院もすべての機械がだめになり診療不可能になりました。




震災後、ルートが開いてすぐに石巻に入り、ひたすら自分の家を片付ける作業をし続けました。




心は表層では不気味なほどに静かでした。
ライフラインはすべて停止していたので、毎日毎日泥だらけだったけれど、みんなで笑って、あたためあって、協力し合って、元の生活を取り戻すためにひたすら身体を動かしていました。




でも、その奥では。
表の静かさと同じくらいの強さで、心が悲鳴をあげていました。




その悲鳴がどこから来るものなのかも、何なのかも全然わからないまま、毎日夜になると一人家族と離れて泣いていました。ダウンジャケットを着込んで毛布にくるまって、ぶるぶる震えてわんわん泣きました。




窓の外を眺める父の背中、泥水を吸ってふやけたカルテ、家中に漂う不自然な潮のにおい、すでにごみになってしまった思い出を運ぶ母の横顔、すべての瞬間が何もかもが痛みになって、毎日積もって行き場がなくて、刻まれ続けて、刻める場所すら見当たらなくなって、麻痺し続けた痛みが、また回復し始めると痛み出して、そのうち自分がわからなくなって、何かを本能的に保っているのはわかっていたけれど、その何かの名前も思い出せなくなって、それでも身体は勝手に日常を刻んでいて、無機質なオートメーション化された言葉しか使えなくなっていって、それまで毎日を彩っていた鮮やかな言葉たちが音もなく眠りについていって。




そして、少しずつ、音が遠ざかっていって。




もともと弱かった左耳が、震えてくれなくなって。




声も震えなくなって。




私は歌えなくなりました。




死ぬかも、と思いました。




死にたくない、とも思いました。




無駄にしてはならないもの、避けてはならないもの、果たさなくてはならないものが、その時の私には生まれてしまっていたから。




私はまだあがけると思いました。あがかなくちゃとも思いました。選択肢なんてないと思いました。




既にもう泥だらけで、体重だって10kgも増えて見てくれも崩れて、かっこつける必要も余裕もなくて、もがいてあがいて笑われたとしても、今の自分には痛くもかゆくも何ともない。




だから、やろうと。歌おうと、思いました。




まずは、自分の心を救う歌がほしいと思いました。




やりきれない、毎日毎日泣き続けている自分の心を、そっと撫でてくれる歌がほしかった。




私は、以前からお声をかけていただいていた、真言宗の金剛流御詠歌の門を叩くことにしました。




昔からよく遊びに行っていた奈良の吉野のお宿の御主人(通称・おっちゃん)が御詠歌の先生で、泊まりに行く度によくすすめられていたのです。




実は、私は結構ディープな仏教アレルギーで、すすめられる度にそれとなくやんわりスルーしていました。理由は自分でもよくわからなかったのですが、お経とかお寺とか仏の教えというものが、どうも苦手でできることなら関わりたくなかったのです。




でも、この時は、御詠歌をやろうとまっすぐに思いました。今までの自分にはない、くっきりとしたものがほしい、そう思ったのです。




おっちゃんは大喜びで迎えてくれました。




そして、当時の私の気持ちを汲んでくれたのか、神も仏も関係ない、とても自然で普遍的な一曲を教えてくれました。




「無明無常」という曲でした。




私の生きる道は、明かりもなく、灯火一つ持つことなく、寄る辺すらない旅ですが、だからこそ、人は一人で生きていけないことを、私は一人ではないことを知ることができるのです。




そういう歌でした。




正直、御詠歌はとても難しく、音もフレーズも節回しもとっても複雑で、最初におっちゃんが歌うのを聞いたときは、一体何が起こっているのかわからない感じでした。




でも、なぜか不思議にすんなり歌えてしまいました。すぐに覚えられて、おっちゃんにもびっくりされました。そして、私もびっくりしました。だって、私、歌える状態じゃなかったから。




その夜は、部屋に戻ってわんわん泣きました。




何が起こっているのかよくわからず、泣きながらどんどん混乱して真っ白になって何も考えられなくなって、そして、気がついたら曲が一曲出来上がっていました。




それが、「開」です。




人は一人では生きていけない。




震災を通じて私が感じた大きな大きな痛み、そして、死んでも持ち続けていくだろう宝物。




人は一人では生きていけない。




この重さを私は忘れない。




だから、たぶん、歌えているんだと、思っています。





詞・曲 一路八




風を知り 背中を押され
水に遊んで 恵みを浴びて
土と語り 命に泣き
燃ゆる火が行く手を照らす




夜はいつ明ける 日はいつ昇る
灯火はなく 寄る辺も知らず
一人では生きていけない
ただ泣くだけのひ弱な命




だからこそ私は知っている
一人ではないことを




風を知り 背中を押され
水に遊んで 恵みを浴びて
土と語り 命に泣き
燃ゆる火が行く手を照らす




夜は結ぶ 鬨の声
開かれし朝に立ち上がり
流れし歴史 胸に刻んで
大地踏みしめ




父と戦い泣きわかりあい
母と戦い泣きわかりあい
友とぶつかり別れ出会って
あなたと歩み己を知る




幾億の魂 その先に
私は今ここで歌っています




降りにし縁 結い続け
謝して歌い続けます




活動情報

ライブやります☆

ご無沙汰しております。
お元気でお過ごしですか?
私は元気です。
ほんと、最近無駄に元気です。


今更ながら、自分はつくづく体力がないんだということに気がつきまして、慌ててトレーニングを開始。が、生来の慢性的被虐体質に微妙にマッチしたらしく、身体の充実感だけはハンパない。


ボーカリストはアスリート。


そんな言葉が脳内リピートされる日々です。
が、デフォルトがアレなんで、客観的に見たらば些か残n


それはさておき。


一路八、ライブやります☆
何とか年内にもう一回できそうです。


今回も、全曲自作でまいります。
作りたい曲はいっぱいあるんだけど、形にするのが大変。
でも、がんばります☆


お越しくださるあたたかい方、一路八まで一言ご連絡下さいませ!
お待ちしております(*^-^*)


【sunrise woo】
11月30日(日)
OPEN 12:30
START 12:40
場所 IwooNOGATA
http://www.iwoo-nogata.com/
チケット 00(ドリンク代別途0)

☆一路八の出演は、14時前後になります。
20分前くらいにお越しいただけると確実です。

つぶやき

中退話(2)

前回の続き。

 1回目の中退を経て、めでたく歯科衛生士になった私ですが、この歯科衛生士になった後で、とんでもない落とし穴にはまり込んでいたことに気がついてしまったのです。

 大学には、自分の求める幸せはなかった。

だから、大学をやめた。

そして、自分で食べていく力を身につけるために歯科衛生士になった。

ここまではいいのです。ここまでは。

たぶん。

でも。

やっぱり、以前とどこかおんなじよーーーな疑問が立ちふさがり。

それは、私が求めるのはあくまで自分の心が満たされる「幸せ」で、食べていく力を身につけることがそうかどうかはまた別問題なんではなかろうか…ということ。

 大体、私は父に疑問を持って大学をやめたのに、結局父にもんのすごく近い職業を何も深いこと考えずに選択してしまった。0から学ぶよりもお得だという打算でもって、近道と思って、向いていると思って選んでしまった。

 学生時代は、すごく忙しくて、ありえないくらい毎日きつくて、勉強すること、覚えること、実習、レポート、考える暇もないくらいのスケジュールの押収で余計なことなどまったく考える余裕もなく、勢いであっちゅう間に卒業してしまったので、うっすらおぼろに疑問に思うことはあったような気がするのだけど、とりあえず、歯科衛生士に何がなんでもならなくては私に明日など来はしないと、必死こいてつっ走っておりました。

でも、実際卒業して歯科衛生士になってみたら、やっぱりつらくて。

 何がつらいかというと、私は自分をどうしようもない駄目な人間と思っており、自分で自分を縛り上げないとどんどん駄目なやつになっていくと思い込み、自分で自分を24時間休みなく叱り続けていることに気づいてしまったから。そして、そこでは当然、幸せだなと満たされる思いになることなんてなかったから。

 就職した先も、気がついたら、あえて自分にとって過酷な環境を選択していました。

 卒後すぐに就職した先は、開業してまもない歯科医院でしたが、初日の午前中で前任の歯科衛生士が退職、院長と二人きりという環境に。何にもわからないので勉強のため、土曜日だけ別の歯科医院でアルバイトを始めましたが、身体がどんどんきつくなって、働くか食べるか寝るかしかできない生活に。

やっぱり悩んで病みました。

このままでは本末転倒だと。食べていけるかもしれないけど、身体がもたないと。

そこで、一度仕事を全部やめて実家に戻り、リセットすることにしました。

 実家での生活は楽しかった。

 父の病院で、歯科衛生士としてプロフェッショナルとして、一緒に働けることが何より嬉しかったし、充実していました。幼い頃はわからなかった病院の中の設備や器具が、手に取るようになじんで、父とも専門的な話から、映画、文学、時事問題、たくさんのことを毎日話して幸せでした。

ああ、やっぱり歯科衛生士になってよかった。全然知らなかった父の顔を、たくさん見ることができた。知らなかったら絶対理解できなかった父の領域が、こんなに近くなった。東京での暮らしはつらかったけど、もっと力を身につけて、生活に余裕ができてきたら、好きなこともたくさんできるようになるはず。がんばろう。

そう、思えるようになりました。

そして、実家で過ごして3ヶ月経った頃、歯科衛生士学校の先輩より、東京にある総合病院の歯科室で入院患者専門の歯科衛生士を募集しているという話をいただき、飛び乗りました。

 普通の開業医では決して経験することのできない、ベッドサイドでの口腔ケア、リハビリテーション等を学べるということを聞き、身につければ絶対武器になると思ったのです。

 実際、就職は決まり、今まで全然接することのなかった領域で働くことになりました。

ものすごく刺激的でした。落ち込むこともいっぱいあったし、たくさん泣いたけど、それ以上に勉強になることが多かった。生死が直接関わる現場で、わずかでわずかで泣きたくなるけど、自分にもできることがある、そして少しずつそれが増えていくのが嬉しかった。

そんな矢先、自分の母校が専門学校から4年大になるので、編入試験を受けてみないか、というお話がやってきました。

すんごく揺れました。

ものっそい揺れました。

 人の心って、こんなに揺れるものなのかと思うくらい揺れました。

それまでは、大学のことなんてすっかり流れて、ほとんど考えることもなく生きていました。それどころか「大学なんて」と、斜に構えて生きていた。

それが、その時やっていた仕事のこともあって、もっと勉強してみたいと、大学にもう一度入ってみたいと思ってしまいました。

でも、きっとそれは表向きの綺麗事で、本当は、やっぱりたしかめたい気持ちが残っていたのです。

 父の言う「幸せ」とは何なのかを。

 編入の話が来たのは東京医科歯科大学。ここは父にとって入りたくても入れなかった憧れの大学でした。

ここに入って、卒業することができれば、何か見えるものがあるかもしれない。

 小さい頃から信じ続けていた幸せを感じられるようになるかもしれない。

やっぱり、私は父が大好きだったんです。

 決して後悔はしていないけれど、少なからず父を悲しませてしまったことがつらくて、互いのためとはいえ父を否定するしか道を見つけられなかった自分が悔しくて、父を信じたくて、信じた自分を肯定したくて、父の夢を叶えたくて。そう、勝手に思い込んでいて。

そして、また、自分で自分を縛り上げてしまいました。

 編入試験はとても難しく、倍率も高かったけれど、何とか通ることができました。自立生計者ということもあって、授業料も全額免除してもらえましたし、同級生も様々な経験を持つ優秀で、人間的にも尊敬できる人たちばかりで、順風満帆なスタートでした。

でも、そこから先は。

また、同じことの繰り返しでした。

もちろん、小さい頃に描いた幸せの形などありませんでした。

 毎日の通学、講義が苦痛になり、人と話すのも会うのも死にそうになるくらい苦しくなって、結局自分は勉強には向かない人間なのだということを嫌というくらい思い知らされただけでした。

 耐えられなくなり休学すること2年間。

ひたすら自分と向き合いました。

バイトして貯めたお金でいろいろな場所に行きました。自己啓発的な何か、ネットビジネス的な何か、いろいろ手を出して、自分が本当は何がやりたいのか、何に向いているのか、何で生きていきたいのか、模索しまくりました。

たくさんの人と出会いました。そして、少しずつ自分が捕らわれていたものが浮き彫りになり、向き合う力を感じられるようになり、心が軽くなっていきました。

 私は自分で自分を生かし活かすということに、ものすごく自信がなかったのです。

やりたいことなんて、山ほどありました。

 小さいころに描いた夢なんて、数えるだけ無駄なくらいありました。

 毎日毎日、違う夢を描いては一人で楽しんで笑っていました。

やりたいことなんて、いつもそばにあって、いつも知っていました。

でも、わからないフリをし続けて、どんどんぼやけてわからなくなって、わからなくなっていることもわからなくなっていた。

 私は表現がしたかった。

お芝居でも、詩でも、音楽でもなんでもいい。

 自分の中にある無数に散らばった、キラキラしたりドロドロしたり、どこか傷んでいたり、凛としていたりする、たくさんのたくさんのカケラを、あるべき場所に安置して何かの形にして外に送り出して、そして成仏させたかった。そんなことがしたかった。

ずっとずっと、それだけが、したかった。

でも、それで自分の生命をちゃんと維持していけると思えなかった。

お金になると思えなかった。

だから、逃げた。

 逃げ続けて、病んだ。

 父に教えられたことを傘にして、私はずっと自分に自信がないことをぼかして蓋をして隠し続けて生きていた。

 苦しかった。苦しかった。そんなこと、バカバカしすぎて苦しすぎた。

そんな自分を追い込むために、本当の自信を身につけるために、父の憧れてやまなかった大学をやめようと思った。

 大学2回中退。

この事実を掲げて、胸を張って生きていこうと思った。

 私は散々無茶してお金もかけて痛い目を見ないと、自分に嘘をつき続けているという至極簡単なことにも気づけないバカだけど、どんなに後ろ指さされたって、白い目で見られたって、訳知り顔で無責任に哀れまれたって、絶対自分のことは裏切らない。自分の心を無下にすることはない。私は自分を大事にしてる。

 2回中退したことは、その証。

 中退するにあたっては、学校側からはやたら引き止められたけど、不思議と父とはもめませんでした。とてもあっさりしたものだった。

ここに来て、私は本当に父と分かり合えた気がしました。

 「大学」というものをツールに、私は30年近くもかけて、父、家族と向き合いました。

そして今、本当に自分がやりたかったことを、大好きな人たちと共にやっています。

 無理なくストレス無く働ける最高の職場で歯科衛生士を続けながら、自分を生かしてくれるこの仕事に心から感謝しています。

 歯科衛生士という仕事は父の人生がくれたギフトです。

そして、音楽は、父が浮き上がらせて向き合う力を鍛えてくれた生きるための力そのものです。

 父は見事に、人生を動かす車輪を二つ、バランスよく与えてくれました。

 父が大好きで、信じて、自分を好きになりたくて、信じたくて、そうして歩いてきて、今はとっても仲良しになりました。

だから、私は胸を張って歌を歌っていけるのだと、思います。

ここまで来て、音楽というスタートラインに立てていることを、この上ない幸せと思っています。

これが、私の大学中退話。

 最後まで読んで下さって、ありがとうございます。
つぶやき

中退話(1)

私は大学を二回中退しています。

一回目は弘前大学教育学部小学校教員養成課程、二回目は東京医科 歯科大学歯学部口腔保健学科。二つともいわゆる国立大学というや つです。

これを言うと、大抵驚かれるのですが、私自身驚くことでもなんで もないので、ちょいと書いておこうと思います。

なぜ、大学を中退したのか。

それは、自分がどういう人間なのかがわかってしまったからです。

一回目に入ったときは、とにかく「大学に入ること」が目的でした

私は物心ついたときから、「たくさん勉強をして、いい高校に入り 、いい大学に入り、いいところに就職すれば幸せになれる」という 教育を父から受けて育ちました。それが小さい頃からの私の至上命 題でした。

私は父が大好きです。大きく、賢く、優しく、楽しく、奥深く、誰 よりも情け深く、周囲からの信頼も厚く、父の娘として生まれて幸 せを感じなかった日は今現在において一日たりともありません。

そんな父から、「大学に行けば幸せになれる」なんて言われ続けて いたものですから、ひたむきにそれを信じ続けていたのです。

でも、それを信じる反面、いつも私の胸には疑問がありました。

なぜかわからないけど、父の言うとおりにすると友達が離れていく のです。

小さい頃からそれはずっとあって、父の薫陶をもとに行動すると、 自分では全然その気がないのに、妙に偉ぶった人間のようになって しまうのです。特に高校時代はひどいいじめに合ってボロボロにな りました。もう、わけがわかりませんでした。

耐えられなくなってあえて父の言うことに逆らうように、勉強をきっぱりやめ、父の嫌がっていた演劇に手を出してのめり込んで、一丁前に反抗期を送りました。

そうしたら、つらくてしかたのなかった学校生活が、途端にとっても楽しいものに変わりました。

これは一体なんぞやと。

父の言うことは間違っていたのかと。

勉強すれば幸せになれるのではなかったのかと。

勉強やめたら楽しくなったぞ、なんだこれ、と。

思えばこの時、ちゃんと気づいた自分の感覚に自信を持って、正直に進んでいれば、大学なんて行かなかったと思います。

私は勉強が大嫌いで、学校が嫌いで、満員電車(電車通学だったの で)が大嫌いで、制服が嫌いで、人の気持ちのわからない理不尽で 居丈高で知ったかぶりをする教師が大嫌いで、理解のないクラスメイトと接するのが苦痛で苦痛でしかたなくて、本を読んだり、音楽を聞いたり歌ったり、お芝居したり、詩を書いたりするのが大好きで、寝たいだけ寝ていたかったし、感覚を共有することができる人 とだけ接していたかったし、家と本屋とCD屋とレンタルビデオ屋と服屋とコンビニとミスドと芝居の稽古場と劇場以外行きたくなか った。

そんなこと、とっくに気づいていたし、これを果たそうとするなら大学なんて行くのが間違いというのもたぶん薄々気づいてた。

でも、私は確かめたかった。父の言うことは本当に間違っているの かどうかを。

そして、怖かった。

小さい頃から刷り込まれてきた幸せの形から外れることが。

経験もしていないことだけど、自分には大学に入ること以外「幸せ 」として描けるビジョンがなかったのです。それ以外の場所で生きていける自信が全くなかったのです。

だから、大学に入りました。

ろくに勉強をしていませんでしたし、プライドだけは一丁前でしたから、国立大学以外入りたくはありませんでした。結果、一浪し、センター試験がギリギリでも何とかなりそうだった弘大教育学部に、後期試験小論文のみでハッタリ同然に滑り込みました。

そして、入学後。

やっぱり気づいてしまいました。

ここに「幸せ」はない、ということに。

特に勉強したいことがあったわけでもない、ただ国立大卒という肩 書きでもって「幸せ」になりたかっただけ。んな世間知らずな小娘の甘い考えなど、まったく興味のわかない講義がところ狭しとプリ ントされたシラバスの前に滅多打ちにされました。

お父さんの言うことはなんだったんだろう。

彼が描いていた幸せの形ってなんだったんだろう。

彼は私をどんな人間と思っていたのだろう。

父は私の何を見ていたのだろう。

私は何を幸せと思っていたのだろう。

私にとっての幸せってなんだろう。

幸せってなんだろう。

考え続けて病みました。

引きこもり、という単語がちょうど出始めていたころに、先陣切っ て突き進むような生活になりました。

そして、出た結論は二つ。

「父と私はたぶん違う」

「ここにいても何にもならない」

腹をくくるまで2年かかりました。そして、その間に溜まりに溜ま った澱をエネルギーにして、大好きな父と大喧嘩しました。

家族も周囲も巻き込んでの、私にとっては一世一代の大勝負でした

言いたくないことばかり、声を張り上げてぶつけました。泣いて叫 んで暴れました。

「大学をやめる。ここにいたって何にもならない。私は幸せになれない。お父さんと私は違う。生まれた時代も考え方も価値観も全然 違う。お父さんの思う幸せが、まんま私の幸せにはならない。誰も悪くない。違う、ということが悲劇だっただけ。でもそこから目を背けてごまかし続けて生きることが強くて良いこととは思わない。 そこに幸せはない。私は今をごまかして、10年後、20年後、老後になって人生こんなはずじゃなかったなんて言いたくない」

けれど、父は首を縦に振りませんでした。

私は、それでいい、と思いました。それでこそ、私の大好きなお父さんだ、と。だから、私はお父さんが大好きなんだと。

そして、大学をやめた後の道として、自分で自分を生かし食べていく力をつけるため、歯科衛生士になることを決め、勝手に学校を決 め、勝手に受験し、そして案の定合格しました。

私の父は歯医者です。歯科医療は、生まれたときから私のすぐそばにあり、高校生の頃から助手のバイトもしていたので、とても身近なものでした。

今思うと、ここでも自分への自信のなさが出てしまっていたのですが、すぐにでも社会で食べていける力がほしかった私は、少しでも アドバンテージのあるものを選択したのです。

また選んだ学校が、小賢しくも、かつて父が憧れていながら入ることのできなかった大学の附属学校でした。ここなら、父も文句は言えまいと。

ここまで整えた上で、父に再度直談判し、大学をやめ、上京し、めでたく歯科衛生士になったわけです。

この頃にはすでに大学への思いは流れて、父とぶつかって、自分を見つけて、食べていく力を自力で身につけることができた達成感でいっぱいでした。

私、がんばった。よくやった。そう、自分で自分に言い聞かせられ るようになっていました。

けれど。

幼い頃から刷り込まれたもの、家族への思い、そして自分という人間がどんな生き物なのかということは、そんな底の浅いものではありませんでした。

今の時代、大学中退も一度だけなら、そんなに深い傷にはなりませ ん。

でも、それが二度続くとなると、世間の見る目は一変します。

それでも、私が選択せざるをえなくなってしまったのはなぜだったのか。

続きはまた次回。