眠れにゃい。
一年半ぶりにSNSに凸したらば、交感神経がうはうはし始め眠れなくなってしまいました。
ので、闘病中に書きためた歌詞をちょいちょい上げてみます。起きて冷静になって頭抱えてしまったら下げます。
一昨年の秋、縄文時代からの口碑が残る場所へご縁があって行ってまいりました。
その時、表舞台には出ることのない、この国の歴史を聞きました。
美しくもあり、悲しすぎる程残酷で血なまぐさい物語がそこにはありました。
みんな、手探りで必死に自分を守りながら生きているだけなのに、ただ「何かが違う」だけで、何年も、何百年も、何千年も生き続けてしまう悲劇が生まれる。
嘘の上にも正義は存在できるし、それを信じ拠り所とする心に嘘はない。嘘だって時間の力が加わればいつか真実という名を得ることだってある。そして、それが誰かを救うことだってあるのだ。
ただ悲しいのは、そこに至るまでに、確実に確実に謂れのない苦しみを抱えざるをえない人々が存在していること。
平和って何だろう。
知ってしまったら。
そこから先はどうしたらいいんだろう。
そんな葛藤、パラドックスの中で出来た曲が「祈りの万里」です。
祈りの万里
詞・曲 一路八
あかがねの音渡る
この時に生まれ
あまねく照らす日の光と
瀬にたゆたう
人は流る
時もまた
違う思い 数多のまこと
今日も陽はさす
力なきこの身を抱く
川は瀬を速み哭く
いつの日か手と手を重ね合わせ…
夢は今も静かに
それぞれのまことを抱いて
人は怯え傷つけ
親とはぐれた獣の子のよう
必死に生きてるだけ
夢を見ていました
きれいな夢でした
誰かを傷つけるかもしれぬと
知らずに
解は違う
それもまた
託す思い 託される者
みな空の下
吹きすさぶ嵐越えても
越えられぬ傷がある
時よ 空よ 雨よ 吼える川よ
どうすれば流せよう
愛し君 今はいずこに
笑顔でいるのでしょうか
どうか優しくやわらかな風が
君と共にあるように
行かないで行かないで今
時があふれ波立つ
ちりぢりに舞う花びらのように
運命は行方知れず
悠久の祈りをたたえ
川は万里を流る
幾度も重ね迷い違えて
それでも私は行く