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    中退話(2)
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      前回の続き。

       1回目の中退を経て、めでたく歯科衛生士になった私ですが、この歯科衛生士になった後で、とんでもない落とし穴にはまり込んでいたことに気がついてしまったのです。

       大学には、自分の求める幸せはなかった。

      だから、大学をやめた。

      そして、自分で食べていく力を身につけるために歯科衛生士になった。

      ここまではいいのです。ここまでは。

      たぶん。

      でも。

      やっぱり、以前とどこかおんなじよーーーな疑問が立ちふさがり。

      それは、私が求めるのはあくまで自分の心が満たされる「幸せ」で、食べていく力を身につけることがそうかどうかはまた別問題なんではなかろうか…ということ。

       大体、私は父に疑問を持って大学をやめたのに、結局父にもんのすごく近い職業を何も深いこと考えずに選択してしまった。0から学ぶよりもお得だという打算でもって、近道と思って、向いていると思って選んでしまった。

       学生時代は、すごく忙しくて、ありえないくらい毎日きつくて、勉強すること、覚えること、実習、レポート、考える暇もないくらいのスケジュールの押収で余計なことなどまったく考える余裕もなく、勢いであっちゅう間に卒業してしまったので、うっすらおぼろに疑問に思うことはあったような気がするのだけど、とりあえず、歯科衛生士に何がなんでもならなくては私に明日など来はしないと、必死こいてつっ走っておりました。

      でも、実際卒業して歯科衛生士になってみたら、やっぱりつらくて。

       何がつらいかというと、私は自分をどうしようもない駄目な人間と思っており、自分で自分を縛り上げないとどんどん駄目なやつになっていくと思い込み、自分で自分を24時間休みなく叱り続けていることに気づいてしまったから。そして、そこでは当然、幸せだなと満たされる思いになることなんてなかったから。

       就職した先も、気がついたら、あえて自分にとって過酷な環境を選択していました。

       卒後すぐに就職した先は、開業してまもない歯科医院でしたが、初日の午前中で前任の歯科衛生士が退職、院長と二人きりという環境に。何にもわからないので勉強のため、土曜日だけ別の歯科医院でアルバイトを始めましたが、身体がどんどんきつくなって、働くか食べるか寝るかしかできない生活に。

      やっぱり悩んで病みました。

      このままでは本末転倒だと。食べていけるかもしれないけど、身体がもたないと。

      そこで、一度仕事を全部やめて実家に戻り、リセットすることにしました。

       実家での生活は楽しかった。

       父の病院で、歯科衛生士としてプロフェッショナルとして、一緒に働けることが何より嬉しかったし、充実していました。幼い頃はわからなかった病院の中の設備や器具が、手に取るようになじんで、父とも専門的な話から、映画、文学、時事問題、たくさんのことを毎日話して幸せでした。

      ああ、やっぱり歯科衛生士になってよかった。全然知らなかった父の顔を、たくさん見ることができた。知らなかったら絶対理解できなかった父の領域が、こんなに近くなった。東京での暮らしはつらかったけど、もっと力を身につけて、生活に余裕ができてきたら、好きなこともたくさんできるようになるはず。がんばろう。

      そう、思えるようになりました。

      そして、実家で過ごして3ヶ月経った頃、歯科衛生士学校の先輩より、東京にある総合病院の歯科室で入院患者専門の歯科衛生士を募集しているという話をいただき、飛び乗りました。

       普通の開業医では決して経験することのできない、ベッドサイドでの口腔ケア、リハビリテーション等を学べるということを聞き、身につければ絶対武器になると思ったのです。

       実際、就職は決まり、今まで全然接することのなかった領域で働くことになりました。

      ものすごく刺激的でした。落ち込むこともいっぱいあったし、たくさん泣いたけど、それ以上に勉強になることが多かった。生死が直接関わる現場で、わずかでわずかで泣きたくなるけど、自分にもできることがある、そして少しずつそれが増えていくのが嬉しかった。

      そんな矢先、自分の母校が専門学校から4年大になるので、編入試験を受けてみないか、というお話がやってきました。

      すんごく揺れました。

      ものっそい揺れました。

       人の心って、こんなに揺れるものなのかと思うくらい揺れました。

      それまでは、大学のことなんてすっかり流れて、ほとんど考えることもなく生きていました。それどころか「大学なんて」と、斜に構えて生きていた。

      それが、その時やっていた仕事のこともあって、もっと勉強してみたいと、大学にもう一度入ってみたいと思ってしまいました。

      でも、きっとそれは表向きの綺麗事で、本当は、やっぱりたしかめたい気持ちが残っていたのです。

       父の言う「幸せ」とは何なのかを。

       編入の話が来たのは東京医科歯科大学。ここは父にとって入りたくても入れなかった憧れの大学でした。

      ここに入って、卒業することができれば、何か見えるものがあるかもしれない。

       小さい頃から信じ続けていた幸せを感じられるようになるかもしれない。

      やっぱり、私は父が大好きだったんです。

       決して後悔はしていないけれど、少なからず父を悲しませてしまったことがつらくて、互いのためとはいえ父を否定するしか道を見つけられなかった自分が悔しくて、父を信じたくて、信じた自分を肯定したくて、父の夢を叶えたくて。そう、勝手に思い込んでいて。

      そして、また、自分で自分を縛り上げてしまいました。

       編入試験はとても難しく、倍率も高かったけれど、何とか通ることができました。自立生計者ということもあって、授業料も全額免除してもらえましたし、同級生も様々な経験を持つ優秀で、人間的にも尊敬できる人たちばかりで、順風満帆なスタートでした。

      でも、そこから先は。

      また、同じことの繰り返しでした。

      もちろん、小さい頃に描いた幸せの形などありませんでした。

       毎日の通学、講義が苦痛になり、人と話すのも会うのも死にそうになるくらい苦しくなって、結局自分は勉強には向かない人間なのだということを嫌というくらい思い知らされただけでした。

       耐えられなくなり休学すること2年間。

      ひたすら自分と向き合いました。

      バイトして貯めたお金でいろいろな場所に行きました。自己啓発的な何か、ネットビジネス的な何か、いろいろ手を出して、自分が本当は何がやりたいのか、何に向いているのか、何で生きていきたいのか、模索しまくりました。

      たくさんの人と出会いました。そして、少しずつ自分が捕らわれていたものが浮き彫りになり、向き合う力を感じられるようになり、心が軽くなっていきました。

       私は自分で自分を生かし活かすということに、ものすごく自信がなかったのです。

      やりたいことなんて、山ほどありました。

       小さいころに描いた夢なんて、数えるだけ無駄なくらいありました。

       毎日毎日、違う夢を描いては一人で楽しんで笑っていました。

      やりたいことなんて、いつもそばにあって、いつも知っていました。

      でも、わからないフリをし続けて、どんどんぼやけてわからなくなって、わからなくなっていることもわからなくなっていた。

       私は表現がしたかった。

      お芝居でも、詩でも、音楽でもなんでもいい。

       自分の中にある無数に散らばった、キラキラしたりドロドロしたり、どこか傷んでいたり、凛としていたりする、たくさんのたくさんのカケラを、あるべき場所に安置して何かの形にして外に送り出して、そして成仏させたかった。そんなことがしたかった。

      ずっとずっと、それだけが、したかった。

      でも、それで自分の生命をちゃんと維持していけると思えなかった。

      お金になると思えなかった。

      だから、逃げた。

       逃げ続けて、病んだ。

       父に教えられたことを傘にして、私はずっと自分に自信がないことをぼかして蓋をして隠し続けて生きていた。

       苦しかった。苦しかった。そんなこと、バカバカしすぎて苦しすぎた。

      そんな自分を追い込むために、本当の自信を身につけるために、父の憧れてやまなかった大学をやめようと思った。

       大学2回中退。

      この事実を掲げて、胸を張って生きていこうと思った。

       私は散々無茶してお金もかけて痛い目を見ないと、自分に嘘をつき続けているという至極簡単なことにも気づけないバカだけど、どんなに後ろ指さされたって、白い目で見られたって、訳知り顔で無責任に哀れまれたって、絶対自分のことは裏切らない。自分の心を無下にすることはない。私は自分を大事にしてる。

       2回中退したことは、その証。

       中退するにあたっては、学校側からはやたら引き止められたけど、不思議と父とはもめませんでした。とてもあっさりしたものだった。

      ここに来て、私は本当に父と分かり合えた気がしました。

       「大学」というものをツールに、私は30年近くもかけて、父、家族と向き合いました。

      そして今、本当に自分がやりたかったことを、大好きな人たちと共にやっています。

       無理なくストレス無く働ける最高の職場で歯科衛生士を続けながら、自分を生かしてくれるこの仕事に心から感謝しています。

       歯科衛生士という仕事は父の人生がくれたギフトです。

      そして、音楽は、父が浮き上がらせて向き合う力を鍛えてくれた生きるための力そのものです。

       父は見事に、人生を動かす車輪を二つ、バランスよく与えてくれました。

       父が大好きで、信じて、自分を好きになりたくて、信じたくて、そうして歩いてきて、今はとっても仲良しになりました。

      だから、私は胸を張って歌を歌っていけるのだと、思います。

      ここまで来て、音楽というスタートラインに立てていることを、この上ない幸せと思っています。

      これが、私の大学中退話。

       最後まで読んで下さって、ありがとうございます。
      | つぶやき | 01:22 | comments(0) | - |
      中退話(1)
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        私は大学を二回中退しています。

        一回目は弘前大学教育学部小学校教員養成課程、二回目は東京医科 歯科大学歯学部口腔保健学科。二つともいわゆる国立大学というや つです。

        これを言うと、大抵驚かれるのですが、私自身驚くことでもなんで もないので、ちょいと書いておこうと思います。

        なぜ、大学を中退したのか。

        それは、自分がどういう人間なのかがわかってしまったからです。

        一回目に入ったときは、とにかく「大学に入ること」が目的でした

        私は物心ついたときから、「たくさん勉強をして、いい高校に入り 、いい大学に入り、いいところに就職すれば幸せになれる」という 教育を父から受けて育ちました。それが小さい頃からの私の至上命 題でした。

        私は父が大好きです。大きく、賢く、優しく、楽しく、奥深く、誰 よりも情け深く、周囲からの信頼も厚く、父の娘として生まれて幸 せを感じなかった日は今現在において一日たりともありません。

        そんな父から、「大学に行けば幸せになれる」なんて言われ続けて いたものですから、ひたむきにそれを信じ続けていたのです。

        でも、それを信じる反面、いつも私の胸には疑問がありました。

        なぜかわからないけど、父の言うとおりにすると友達が離れていく のです。

        小さい頃からそれはずっとあって、父の薫陶をもとに行動すると、 自分では全然その気がないのに、妙に偉ぶった人間のようになって しまうのです。特に高校時代はひどいいじめに合ってボロボロにな りました。もう、わけがわかりませんでした。

        耐えられなくなってあえて父の言うことに逆らうように、勉強をきっぱりやめ、父の嫌がっていた演劇に手を出してのめり込んで、一丁前に反抗期を送りました。

        そうしたら、つらくてしかたのなかった学校生活が、途端にとっても楽しいものに変わりました。

        これは一体なんぞやと。

        父の言うことは間違っていたのかと。

        勉強すれば幸せになれるのではなかったのかと。

        勉強やめたら楽しくなったぞ、なんだこれ、と。

        思えばこの時、ちゃんと気づいた自分の感覚に自信を持って、正直に進んでいれば、大学なんて行かなかったと思います。

        私は勉強が大嫌いで、学校が嫌いで、満員電車(電車通学だったの で)が大嫌いで、制服が嫌いで、人の気持ちのわからない理不尽で 居丈高で知ったかぶりをする教師が大嫌いで、理解のないクラスメイトと接するのが苦痛で苦痛でしかたなくて、本を読んだり、音楽を聞いたり歌ったり、お芝居したり、詩を書いたりするのが大好きで、寝たいだけ寝ていたかったし、感覚を共有することができる人 とだけ接していたかったし、家と本屋とCD屋とレンタルビデオ屋と服屋とコンビニとミスドと芝居の稽古場と劇場以外行きたくなか った。

        そんなこと、とっくに気づいていたし、これを果たそうとするなら大学なんて行くのが間違いというのもたぶん薄々気づいてた。

        でも、私は確かめたかった。父の言うことは本当に間違っているの かどうかを。

        そして、怖かった。

        小さい頃から刷り込まれてきた幸せの形から外れることが。

        経験もしていないことだけど、自分には大学に入ること以外「幸せ 」として描けるビジョンがなかったのです。それ以外の場所で生きていける自信が全くなかったのです。

        だから、大学に入りました。

        ろくに勉強をしていませんでしたし、プライドだけは一丁前でしたから、国立大学以外入りたくはありませんでした。結果、一浪し、センター試験がギリギリでも何とかなりそうだった弘大教育学部に、後期試験小論文のみでハッタリ同然に滑り込みました。

        そして、入学後。

        やっぱり気づいてしまいました。

        ここに「幸せ」はない、ということに。

        特に勉強したいことがあったわけでもない、ただ国立大卒という肩 書きでもって「幸せ」になりたかっただけ。んな世間知らずな小娘の甘い考えなど、まったく興味のわかない講義がところ狭しとプリ ントされたシラバスの前に滅多打ちにされました。

        お父さんの言うことはなんだったんだろう。

        彼が描いていた幸せの形ってなんだったんだろう。

        彼は私をどんな人間と思っていたのだろう。

        父は私の何を見ていたのだろう。

        私は何を幸せと思っていたのだろう。

        私にとっての幸せってなんだろう。

        幸せってなんだろう。

        考え続けて病みました。

        引きこもり、という単語がちょうど出始めていたころに、先陣切っ て突き進むような生活になりました。

        そして、出た結論は二つ。

        「父と私はたぶん違う」

        「ここにいても何にもならない」

        腹をくくるまで2年かかりました。そして、その間に溜まりに溜ま った澱をエネルギーにして、大好きな父と大喧嘩しました。

        家族も周囲も巻き込んでの、私にとっては一世一代の大勝負でした

        言いたくないことばかり、声を張り上げてぶつけました。泣いて叫 んで暴れました。

        「大学をやめる。ここにいたって何にもならない。私は幸せになれない。お父さんと私は違う。生まれた時代も考え方も価値観も全然 違う。お父さんの思う幸せが、まんま私の幸せにはならない。誰も悪くない。違う、ということが悲劇だっただけ。でもそこから目を背けてごまかし続けて生きることが強くて良いこととは思わない。 そこに幸せはない。私は今をごまかして、10年後、20年後、老後になって人生こんなはずじゃなかったなんて言いたくない」

        けれど、父は首を縦に振りませんでした。

        私は、それでいい、と思いました。それでこそ、私の大好きなお父さんだ、と。だから、私はお父さんが大好きなんだと。

        そして、大学をやめた後の道として、自分で自分を生かし食べていく力をつけるため、歯科衛生士になることを決め、勝手に学校を決 め、勝手に受験し、そして案の定合格しました。

        私の父は歯医者です。歯科医療は、生まれたときから私のすぐそばにあり、高校生の頃から助手のバイトもしていたので、とても身近なものでした。

        今思うと、ここでも自分への自信のなさが出てしまっていたのですが、すぐにでも社会で食べていける力がほしかった私は、少しでも アドバンテージのあるものを選択したのです。

        また選んだ学校が、小賢しくも、かつて父が憧れていながら入ることのできなかった大学の附属学校でした。ここなら、父も文句は言えまいと。

        ここまで整えた上で、父に再度直談判し、大学をやめ、上京し、めでたく歯科衛生士になったわけです。

        この頃にはすでに大学への思いは流れて、父とぶつかって、自分を見つけて、食べていく力を自力で身につけることができた達成感でいっぱいでした。

        私、がんばった。よくやった。そう、自分で自分に言い聞かせられ るようになっていました。

        けれど。

        幼い頃から刷り込まれたもの、家族への思い、そして自分という人間がどんな生き物なのかということは、そんな底の浅いものではありませんでした。

        今の時代、大学中退も一度だけなら、そんなに深い傷にはなりませ ん。

        でも、それが二度続くとなると、世間の見る目は一変します。

        それでも、私が選択せざるをえなくなってしまったのはなぜだったのか。

        続きはまた次回。
        | つぶやき | 01:21 | comments(0) | - |
        小人のささやき
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          ぼくがいちばん好かないのは、
          “あたしなんか”という女性だね。
          屈折している。
          “あたしなんか”といいながら、
          その実、相手に、
          “そんなことないですよ”
          といってもらいたいんだ。
          (岡本太郎)

          私もこういう女です。
          どうしようもないです。

          だから、歌なんぞ歌ってないとやってらんないんです。

          でも歌だけだと、ただの痛いだけの人とになって、また生きるのが辛くなるので、歯科衛生士なんぞやって、ひたすら事実と現実を直視する、まやかしなんぞ存在できない場所に身を置きます。

          いったり来たりしながら「あたしなんかって言ってれば傷は軽くて済むかもよ」と囁いてくる嫌らしい小人と付き合っています。

          自覚があった上で、学びを重ね、自分を成長させることができるのなら、「あたしなんか」もきっと悪くはない。

          自覚なく計算高い、態度と中身が裏腹な輩を見ると、たまにはっ倒したくなりますが、それもまた鏡合わせというやつで。
          | つぶやき | 10:44 | comments(0) | - |
          愛とはなんぞ
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            ツイッターに、いろいろな人の名言を定期的に流してくれるボットがあって、主に文化人を中心に登録しているのですが、これがなかなかどうして面白い。

            その中で先ほど見つけた美輪明宏さんの言葉。シンプルなんだけど、とっても的確で胸がすっとした!


            「 好きな人のために何かしてあげたい。しかし、その気持ちの根底には、「だから自分にも優しくして」「もっと尽くして」という見返りを求める気持ちが微塵もないとは言い切れません。そこに愛はないのです。 」


            先日、前田大輔先生のセミナーで、「愛とはなんぞや」という話があったのですが、私は先生の出した答えがずーっと疑問で疑問で。

            それは「あなたの生命を大事にすること」

            相手の生命を生かす。そのために、生命を抑圧するもの、生きにくくしている要素を探して見つけて紐解いて軽くなるよう精一杯お手伝いすること。

            こんな感じだったと思う。たぶん。何か釈然としないフィルターがかかってたんで、曲解してるかもわかんないけど。

            理屈ではわかるのですが、身体が何か違うと訴えるのです。何か今一つ腑に落ちないのです。何か引っ掛かって、どうにも上っ面な感じで気持ち悪いのです。

            何となく答えは見えていたんだけど、さっき、この美輪さんの言葉を読んでストンと落ちた!

            答えは、もうずっと前から私の中にあった。

            私はたぶん、愛を知っている。

            身体が感覚が魂が知っていると深く深くうなづいている。

            愛ってきっとそんな理屈で片付けられるものじゃない。

            そんなごまかしのきくものじゃない。

            簡単だけど、人によってはとてつもなく困難。恐ろしく簡単なのだけど。やっぱり難しい。

            ずーっと身体と魂が違う、違うと言い続けていたことが形になってくれた。

            根底に、エゴ、我、満たされない思い、自分を見てほしい、わかってほしい、賞賛してほしい、といった「自分を中心にして他者に見返りを求める気持ち」「自分が望む反応が返るよう他者をコントロールしたい気持ち」が潜んでいる場合、いくら行動がきれいでも、そこに愛は無いのだ。

            だから、先生の言った愛の定義は、私にとっては不十分。なぜなら、エゴを起因としたとしても十分なし得るから。

            人の行動、心理を事細かに分析して、パターン化して、誰にでも当てはまる行動様式を洗いだし、生命を抑圧する要素をそれに嵌め込んで紐解いていけば、この「愛の定義」は達成される。

            それは、一見あたたかいけれど、とてつもなく冷たい作業に思える。とてつもなく満たされない何かを感じてしまう。

            愛ってきっと、そんなものじゃない。

            そこに、おそらく自分はいない。いるのは何かの巡り合わせで現れた、きっと大切なのであろう、自分ではない誰かだけ。

            その人との関わりの中で、自分のことなど考えもせず、なーんもなく、魂素っ裸で向き合ってぶつかって投げ出して殴りあって血まみれになって死にそうになってぜーんぶ放り出して与えつくしてスッカラカンになって抱き締めあって泣いて叫んで笑って包み込み合う。

            愛ってきっと、そんな間に在るものだ。

            自分なんて、どうなったって構わない。

            傷ついても、血まみれになっても、死にそうになっても、死んでも、忘れられても、世界中から罵声を浴びても、憎まれても、誰一人自分を認めてくれる人がいなくても、どこまでも孤独に地獄に落ちても、そんなこと知ったことかと一笑に臥す魂にこそ、私は愛を見る。

            そして、私はそんな人を知っている。

            ぶつかりあって、罵りあって、戦って戦って泣いて泣いて、削ぎ落としあって、見つけあって、抱きあって、また泣いて、包み込みあって、守りあいながら生きる人が私にはいる。

            それも一人じゃない。多くはないけど。

            私にとって、愛ってそういうもの。

            理屈、理論、パターンで嵌め込むのは悪くないと思う。問題は、その奥にドロドロの「エゴ」が隠れていないかどうかなんです。

            人ってそんなにバカじゃないです。

            エゴでは魂は救われない。お腹は膨れても、魂は無理。たとえそれで一見救われたように見えても、どうにもならない不快感や不調や違和感のようなものとして、確実に残る。

            愛って、たぶん、スッキリしてる。

            シンプルで、すごくスッキリして、一番深ーーいところに当たり前のように落ち着いていて揺るがず気取らず主張もなく、ただ在るだけで、生きていけると自然と思える。

            そして、それは生まれる前からずーっとあったことに気づき、大切な人と綺麗事でなく関わりまくり続ける中で育ててきたもの。

            私にとって、愛ってきっと、そういうもの。
            | つぶやき | 08:27 | comments(0) | - |
            AZALY
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              フレグランスをいただきました!!!これはもう嬉しい!嬉しい!どうしよう!!!(*≧∀≦*)

              JAMAL KAZURAというシンガポールのパフュームオイルブランドの発売されたばかりの数量限定品です。日本では吉祥寺と表参道にショップがあって、ちょこちょこ覗いていたりする大好きなブランドなので、喜びも倍倍倍☆

              商品は、天然のアロマオイルを調合していて、アルコールや化学物質は一切なし。全ての香りにナンバーと素敵なタイトルがついております。

              そして、今回いただいた香りのナンバーは何とメビウス!名前もAZALYといって、アラビア語で「永遠」という意味。

              つけてみたけど、何というか別格です。とっても別次元。つけた瞬間から汗がぶわーーーって吹き出してびっくりしたのなんの。とんでもなく強い。でもしなやか。柔軟。繊細で、心の痛みも表面だけさらうような上っ面だけじゃない、襞の奥までやさしく撫でてくれるような深い女性性の香りです。

              人として女性として望む要素って決して少なくないけど、それをすごくさりげなく個性的にいっぱい取り揃えて整ってる。

              これをつけて歌ったら一体どうなるんだろう。次のステージフレグランスはこれに決まりです。

              大事につけようと思います。嬉しい。

              このブランドのショップに行くと、いつも時間を忘れてしまうくらい、どれも魅力的な香りなのだけど、これは危険。どの香りもたぶん負けてしまうくらい、格が高い。私も負けないようにしないと。

              るん♪(*´ω`*)
              | 日常 | 18:31 | comments(0) | - |
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