怖い時代だ。本当に。この怖さがきちんと認識されるまで、一体あとどれくらいの時間がかかるんだろう。無視して当然だったもの、認識すらされず存在感も極めて薄く、さほど影響することもなかったものが、強力に浮かび上がって、確実に人と世界を動かしている。過渡期、転換期の不気味さ。怖い。
世界のやさしさはあくまでデジタルだ。その前では、人が勝手に決めた善悪だの倫理観だのは、あまりに薄くさほどの力も持ち得ない。
望むこと、願うこと。
その中身など、世界にとってはどうでもいいのだ。
似た者同士が集まって、自分の中の強力に意思表示している場所が強化されるだけだ。
それを叶えることで、その人間がどうなろうと世界にとっては知ったことではない。すべて自業自得。どんなに悲惨な返り方をしようと、すべてお前が望んだことと片付けられる。
どれだけ気づけるかだ。
己の望みがもたらすものに。
望みには善悪もへったくれもなく、己を引き上げもするし、蝕みもする。そして、それはもう、自己の中に閉じ込めて外へ影響させないようにすることはできなくなっている。
自分勝手、自己中心的な願いを抱いたとき。たとえば「あの人いいな」とうらやましく思う。その裏にもしも「あんな人いなければいいのに」とか「痛い目見ればいいのに」などという気持ちが隠れていたりすると、世界はそれを叶えようとする。本人が意識しようとしなかろうと、世界はそう動く。
そして、誰かを苦しめるよう動かした世界が己に返る。本人はなぜ自分が苦しんでいるかわからず、また、同じことを繰り返す。
逆もしかり。「あの人いいな」と思ったとき。深い場所に「仲良くなりたい」「ああいう人になりたい。がんばろう」といった明るい純粋な気持ちがあれば、世界はまたそれを叶えようとする。そして、明るいプレゼントをたくさんくれる。
自分の本質、深い場所が浮かび上がり、くっきりして、強化され、目の前に突きつけられる時代なのです。
優しい人はより優しく、ゲスな人はよりゲスになってしまうよう世界が動いてしまう。そんな時代なのだと思います。
今までと本質も仕組みも変わらないけれど、ひたすらそれが強くなっている。
自分の心がそのまま映し出されるとはそういう意味です。
それはシンプルだけど、とてつもなく複雑です。
望み、願いは自分そのもの。
強いものほど叶えられます。そして、己に返ります。我々の持つ善悪、倫理観などお構い無しに。
そこに、きちんと己の姿を見つけ、見定め、必要があれば修正し、成長させていけるかどうか。
人として、自然の一部としての本質的な力が試されている時代と思います。
あなたの願いは誰かを傷つけるものではありませんか?あなたの願いが叶うことで、痛みを感じ涙を流す人はいませんか?
あなたの願いは誰を幸せにしますか?その裏で泣いている人はいませんか?
きれいな願いの裏に、惨めでゲスな思いは隠れていませんか?
すべて自分に返ります。
自分の思いが、すべて返ってきます。
自分を守りたかったら、関わる人たちも同時に守れる願いを持つことです。
良いことも悪いことも、すべて等しく返ります。
本当に、怖い時代です。