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中退話(1)
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    私は大学を二回中退しています。

    一回目は弘前大学教育学部小学校教員養成課程、二回目は東京医科 歯科大学歯学部口腔保健学科。二つともいわゆる国立大学というや つです。

    これを言うと、大抵驚かれるのですが、私自身驚くことでもなんで もないので、ちょいと書いておこうと思います。

    なぜ、大学を中退したのか。

    それは、自分がどういう人間なのかがわかってしまったからです。

    一回目に入ったときは、とにかく「大学に入ること」が目的でした

    私は物心ついたときから、「たくさん勉強をして、いい高校に入り 、いい大学に入り、いいところに就職すれば幸せになれる」という 教育を父から受けて育ちました。それが小さい頃からの私の至上命 題でした。

    私は父が大好きです。大きく、賢く、優しく、楽しく、奥深く、誰 よりも情け深く、周囲からの信頼も厚く、父の娘として生まれて幸 せを感じなかった日は今現在において一日たりともありません。

    そんな父から、「大学に行けば幸せになれる」なんて言われ続けて いたものですから、ひたむきにそれを信じ続けていたのです。

    でも、それを信じる反面、いつも私の胸には疑問がありました。

    なぜかわからないけど、父の言うとおりにすると友達が離れていく のです。

    小さい頃からそれはずっとあって、父の薫陶をもとに行動すると、 自分では全然その気がないのに、妙に偉ぶった人間のようになって しまうのです。特に高校時代はひどいいじめに合ってボロボロにな りました。もう、わけがわかりませんでした。

    耐えられなくなってあえて父の言うことに逆らうように、勉強をきっぱりやめ、父の嫌がっていた演劇に手を出してのめり込んで、一丁前に反抗期を送りました。

    そうしたら、つらくてしかたのなかった学校生活が、途端にとっても楽しいものに変わりました。

    これは一体なんぞやと。

    父の言うことは間違っていたのかと。

    勉強すれば幸せになれるのではなかったのかと。

    勉強やめたら楽しくなったぞ、なんだこれ、と。

    思えばこの時、ちゃんと気づいた自分の感覚に自信を持って、正直に進んでいれば、大学なんて行かなかったと思います。

    私は勉強が大嫌いで、学校が嫌いで、満員電車(電車通学だったの で)が大嫌いで、制服が嫌いで、人の気持ちのわからない理不尽で 居丈高で知ったかぶりをする教師が大嫌いで、理解のないクラスメイトと接するのが苦痛で苦痛でしかたなくて、本を読んだり、音楽を聞いたり歌ったり、お芝居したり、詩を書いたりするのが大好きで、寝たいだけ寝ていたかったし、感覚を共有することができる人 とだけ接していたかったし、家と本屋とCD屋とレンタルビデオ屋と服屋とコンビニとミスドと芝居の稽古場と劇場以外行きたくなか った。

    そんなこと、とっくに気づいていたし、これを果たそうとするなら大学なんて行くのが間違いというのもたぶん薄々気づいてた。

    でも、私は確かめたかった。父の言うことは本当に間違っているの かどうかを。

    そして、怖かった。

    小さい頃から刷り込まれてきた幸せの形から外れることが。

    経験もしていないことだけど、自分には大学に入ること以外「幸せ 」として描けるビジョンがなかったのです。それ以外の場所で生きていける自信が全くなかったのです。

    だから、大学に入りました。

    ろくに勉強をしていませんでしたし、プライドだけは一丁前でしたから、国立大学以外入りたくはありませんでした。結果、一浪し、センター試験がギリギリでも何とかなりそうだった弘大教育学部に、後期試験小論文のみでハッタリ同然に滑り込みました。

    そして、入学後。

    やっぱり気づいてしまいました。

    ここに「幸せ」はない、ということに。

    特に勉強したいことがあったわけでもない、ただ国立大卒という肩 書きでもって「幸せ」になりたかっただけ。んな世間知らずな小娘の甘い考えなど、まったく興味のわかない講義がところ狭しとプリ ントされたシラバスの前に滅多打ちにされました。

    お父さんの言うことはなんだったんだろう。

    彼が描いていた幸せの形ってなんだったんだろう。

    彼は私をどんな人間と思っていたのだろう。

    父は私の何を見ていたのだろう。

    私は何を幸せと思っていたのだろう。

    私にとっての幸せってなんだろう。

    幸せってなんだろう。

    考え続けて病みました。

    引きこもり、という単語がちょうど出始めていたころに、先陣切っ て突き進むような生活になりました。

    そして、出た結論は二つ。

    「父と私はたぶん違う」

    「ここにいても何にもならない」

    腹をくくるまで2年かかりました。そして、その間に溜まりに溜ま った澱をエネルギーにして、大好きな父と大喧嘩しました。

    家族も周囲も巻き込んでの、私にとっては一世一代の大勝負でした

    言いたくないことばかり、声を張り上げてぶつけました。泣いて叫 んで暴れました。

    「大学をやめる。ここにいたって何にもならない。私は幸せになれない。お父さんと私は違う。生まれた時代も考え方も価値観も全然 違う。お父さんの思う幸せが、まんま私の幸せにはならない。誰も悪くない。違う、ということが悲劇だっただけ。でもそこから目を背けてごまかし続けて生きることが強くて良いこととは思わない。 そこに幸せはない。私は今をごまかして、10年後、20年後、老後になって人生こんなはずじゃなかったなんて言いたくない」

    けれど、父は首を縦に振りませんでした。

    私は、それでいい、と思いました。それでこそ、私の大好きなお父さんだ、と。だから、私はお父さんが大好きなんだと。

    そして、大学をやめた後の道として、自分で自分を生かし食べていく力をつけるため、歯科衛生士になることを決め、勝手に学校を決 め、勝手に受験し、そして案の定合格しました。

    私の父は歯医者です。歯科医療は、生まれたときから私のすぐそばにあり、高校生の頃から助手のバイトもしていたので、とても身近なものでした。

    今思うと、ここでも自分への自信のなさが出てしまっていたのですが、すぐにでも社会で食べていける力がほしかった私は、少しでも アドバンテージのあるものを選択したのです。

    また選んだ学校が、小賢しくも、かつて父が憧れていながら入ることのできなかった大学の附属学校でした。ここなら、父も文句は言えまいと。

    ここまで整えた上で、父に再度直談判し、大学をやめ、上京し、めでたく歯科衛生士になったわけです。

    この頃にはすでに大学への思いは流れて、父とぶつかって、自分を見つけて、食べていく力を自力で身につけることができた達成感でいっぱいでした。

    私、がんばった。よくやった。そう、自分で自分に言い聞かせられ るようになっていました。

    けれど。

    幼い頃から刷り込まれたもの、家族への思い、そして自分という人間がどんな生き物なのかということは、そんな底の浅いものではありませんでした。

    今の時代、大学中退も一度だけなら、そんなに深い傷にはなりませ ん。

    でも、それが二度続くとなると、世間の見る目は一変します。

    それでも、私が選択せざるをえなくなってしまったのはなぜだったのか。

    続きはまた次回。
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