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現時点におけるSNSとの付き合い方について雑に考察
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    Twitterより転載。



    SNSの何が居心地悪いかというと「見られてる感」「見られてるかもしれない感」「誰も見ていないだろう感」「誰が見ているかわからない感」がどれも常につきまとってきて、気にしいな私と他人とか無関心な私のパラメーターが乱高下してとても疲れるところにあるのだと最近ようやく言語化できた。




    必要な情報だけ楽しんで、不快に感じるものは無関心スイッチオン、一切関わらない、なんて境地、そんなに簡単にたどり着けるものではないよ。不快を突き詰めるところにも物語は生じるし、それが誰かの役に立ってしまうことだってある。それがSNSの醍醐味でもある。問題は耐えられるかどうか。




    とりあえず、当たり障りのない言葉を小賢しく個性添加して選ぼうとする自分に飽きた。対策を考えます。




    大体私のコミュニケーション能力では、密に無礼なく誠意を持ってよそ行きにならずに気遣いがストレスなく自然発生できる関係を築けるのは現実的に2〜3人がいいところだと最近言語化。世間の常識はちくちくつつくし申し訳なさが吹き荒れるけれどできないものはできない。




    ーーーーーーここまでーーーーーー




    自分の発言に責任を持って、反応があれば誠意をもって対応する。社会の普遍的な不文律だと思います。




    ですが、SNSでそれをやろうとすると、よほど頭の切れる人か、サイボーグ並に感情を殺せる人か、よほど時間が有り余っている人でないとやりきることはできないと思います。




    人気のブロガーさんなどには、一切返信しない、コピペで返信、親しい人には返信といった対応が暗黙の了解になっていたりしますが、私は根っこにどんな関係であれ関わる人全てに一言一言練りに練って言葉を選び抜いて礼を尽くしたいという願いと、そうでもしてないといつ無礼をやらかすかわからないという身を切られるような危機感が根を張っていて、結局何も話さない、当たり障りのない言葉に変換して終わり、ということが非常に多く発生しています。




    が、んなこと当たり前。当然のことです。




    が、どうにも面白くない。つまらない。




    当たり障りのない言葉を選ぶしかない自分のつまらなさ、無能さにほとほと愛想が尽きているのです。




    自分の世界に何の疑問も持たず、否定されること叩かれることなど考えもせず、個性の吹き出すままに突っ走っていた時代が私にもあります。




    でも、その先には、当然のごとく「社会の洗礼」が待っています。




    私はそこで、足を止めてしまった人間です。




    自分の大事な世界に、誰かの言葉や視線や手足や、時には悪意が刺さることがこの世界には確実にある。走った速度や距離の分だけ反動がある。




    その先の痛みと崩壊と絶望と虚無と底のない沼、そして深淵。




    一度足を取られたら、そこから先は足掻いてもがいて、自分で抜け出し方を見つける以外に選択肢はない。




    また、よしんば抜けられたとしても、痛みや恐怖や危機感を知ってしまった自分は、もう前の自分とは似て非なる生き物になっている。




    が、それも当然。当たり前。それはもう爽快なほどに当たり前です。今さら公の場で論理展開するほどのことかわからないくらい当たり前ですがあえて展開しています。




    痛みを抱えたまま言葉を発信することの覚悟。




    誰かを慮って、最大公約数の言葉を発信することの優しさと思いやりと空虚さ。




    自分が面白いと思う言葉を溢れるままにだだ流したい衝動。




    そんなものがせめぎあっておそろしくにぎやかです。




    それでも、やっとここまで言語化できたことが嬉しいのです。




    怖いこと、もう経験したくないこと、できることなら見たくないこと、それをきちんと言葉にするのって大変です。




    私にとってSNSはとても大変な場所です。決して平和な場所には見えないのです。楽しく恐ろしい場所です。




    そういうと、訳知り顔で「あなたの心がそのまま映され物質化されているだけ」とか言う人が出てきますが、「あなたは自分の心に恐怖を見つけられないのか」と問いたくなります。私は恐れや畏れを見ない、見ようとしない人間にはなりたくない。恐怖があるから自律と安らぎと願いがある。




    その大変な場所と、これからどうお付き合いしていくか、鋭意検討中の今日この頃です。

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