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自己承認欲求という言葉があと40年早く世に出ていたらなあと思う。
私はもう少し生きやすかったんじゃないかなあ。
生まれた時から30歳を越えるまで、私はずっと息苦しかった。
自分の中の「他者から認められたい、見てほしい」という強力な欲求の存在に翻弄され、また、他者からも同じような圧力を受け、自分にも周りにも辟易していた。
同じような欲求を持ちながら、それとまっすぐ向き合うことをしない人々が近くにいると、居心地が悪くてしかたなかった。
そして、居心地の悪さの原因はわかっているのに、うまく伝える言葉が無いのにいつも苛立っていた。
欲求に対し問題意識を持たないどころか存在にすら気づいていない(気づいていることに気づかないフリをしている)、気づいているのに自ら立ち向かおうとしない、他人に過剰に己を突き付けて求める言葉を誘導しようとする無神経な人たちの鈍感さが腹立たしくて、この欲求をわかりやすくかつ衝撃を伴って伝える言葉がなぜないのかと、怒りをいつも抱えていた。せっかくエネルギーがあるのに、他人に嫌な思いをさせて適当に昇華してお茶濁してるんじゃねーよ、と。目逸らしてんじゃねーよ、と。もっと現実と向き合えよ、と。逃げてんじゃねーよ、と。ちゃんと伝えたかった。でも、言葉が無くてうまく伝えようとするとどうしても長くなってしまって余計わけがわからなくなって、あまりいいことがなかった。
何かがあると感じながら、それを曖昧模糊とした状態で放置するのと、ちゃんと名前を用いて存在を固定するのとでは付き合い方が全然違う。
10代の頃は「自己顕示欲」という言葉で何とか片付けていたけれど、正直この言葉はとても使いにくい。
自分に使うのも、他人に使うのも、何だかひどく使いにくいのだ。
じこけんじよく。
いつも、この「こ」と「けん」を続けて言うあたりで違和感というか、これでは人に伝わらねーよな、的な諦念がつきまとっていた。
じこけんじよく。
という音から
自己顕示欲。
という漢字に即変換できる人は稀だ。
で、日本語というものは慣れない音の場合、脳内で漢字変換できないものは意味がほとんど伝わらない。
30年前からずっと、わかりやすく伝わる言葉があればいいのにと思っていた。
当時それが無かったのはおそらく多くの人々がその欲求をフォーカスしようとしていなかったからだ。
だから「自己承認欲求」という何ともわかりやすい親切な単語が世に出たのは、人々がフォーカスし始めたからなんだと思う。
これは、とても良いことなのではと思う。
「自己承認欲求」は恐ろしい。背景と本人の気質次第で、とんでもないエネルギーを持つ。
使い方次第で劇薬にもなるし、核兵器にもなる。非常に殺傷能力が高い。
自覚をしないまま振り回されると、大抵ロクなことがない。
自分も周りもすり減って、どこまでもどこまでも削られて、気が付いたら草一本残らない不毛の大地と化していた、なんてことも往々にしてある。
だから、大事なのは自分の中にそれがある、と自覚することなのだ。
自覚するためには「名前」による「存在の固定」がすごく大切。
「自己承認欲求」という言葉がちゃんと世の中に浸透し、自覚を持つことができるようになったということは、たぶん、とても良いことなのではと思うのだ。
43才時点で未婚であるということについて。
今の時代は、20年位前に比べると独身に対する見方もずいぶん柔軟になったと思うけど。
いまだに疑問を持たれるところではある。
答えはいたってシンプル。
いまだに結婚というものに興味が湧かないから。
結婚したいと思っていたことがなかったわけではない。
ただ、それがどうしてなのかを考えると、大概ロクな理由が出てこない。
・一人で生きていくには経済的に不安だった→逃避
・親に孫を会わせたかった→他者都合
・親を安心させたかった→他者都合
・子供が好きで産みたかった→子育てのおいしいところしか見ていない
・ある程度の年齢になったら結婚という制度に倣うものだと思っていた→勝手な思い込み
・ある程度妥協のきく人なら誰でもいい、一人でいたくなかった→無礼
・将来的に何かトラブルがあったとき(事故とか病気とか働けなくなったりとか)支えあえる存在がほしかった→逃避
ほんとロクでない。
結局、自分の心に正直に向き合っておらず、人生を誰かに預けて支えてほしいという他力本願な思いがありありとあった。
それに気が付いたとき、心底自分に失望した。
私みたいな勝手な人間が結婚などしたら、周りにとんでもなく迷惑をかけると思った。
それだけでない。
私自身、どん底まで病んで病んで見た目も心も歪んでどこまでも落ちていく姿がリアルに浮かんだ。
はっきり言って。
誰にとってもいいことがない。
私の本質は
・根っからの引きこもりのオタク気質(十分な食料と娯楽があればたぶん一生引きこもれる)
・共同生活3日以上できない。病むか発狂する。
・趣味に没頭しているときに邪魔をされると殺気立つ。
・趣味に没頭し始めると時間の概念が飛ぶ。
・日々のルーティンが崩れると病む。
・家事は自分一人分だからさくさくこなせる。複数人分やろうとすると病むか発狂する。
・瞬時に入る情報量がただでさえ多い。二人以上は脳が処理しきれず噴火する。
とことん結婚というものに不向きなのである。
結局、経済的にもちゃんと自立してしまって、お金と時間をすべて自分のために使うことができて、一人でいることが何よりも楽しい人間だということがわかってしまって、友達の子供たちがとてもかわいくて子育てのおいしいところだけ経験できる今の生活を崩す理由がどこにもないのだ。
自分という人間がわかってしまった今、結婚というシステムへの興味が本当に湧かない。
もし、するとしてもずっと先の話になると思う。
あるご婦人に昔言われたことがある。
「あなたさえ良ければいい人紹介しようとは思うんだけどね、たぶんあなた、もっと枯れないと結婚は無理よ」
ど真ん中を突かれた。
まったくその通りなのである。
若い人と仕事をすることが増えたせいか、30代以前のことを振り返ることが多くなった。
今までの職場はすべて、自分が一番年下もしくは年少組だったので、ものすごく新鮮だ。
若くて頭が良く、体力と胆力があって仕事ができる。
今、職場で一緒に働いている人たちはそういうイメージ。
みんな、驚くほど仕事ができるし、驚くほど人間的にちゃんとしている。
人間力のある若い人にあまり出会ったことがない…というか20代の頃の自分があまりに何にもわかっていないふやっふやな人間だったので、日々衝撃を受けている。
20代後半の頃は何をしていただろうと考えると、学歴至上主義という一大宗教の呪縛をやっとこさ振り切って(訳:国立大学2回中退して)自分がやりたいことを片っ端からやり始めた(訳:社会人デビューした)頃だった。
思えば、私にとって暗黒の記憶と呼べるものはすべて「学校」と名のつく場所にいたときに発生している。
「学校」そのものには罪も何もない。
ただ私に「自分の意思とは関係なく放り込まれた場合の学校」を楽しむ能力がなかったのだ。
たぶん、生まれる前から「学歴」という呪いがあった。
自我が芽生える前のほやっほやの魂にとって、絶対的な存在の親より強力に植え付けられたもの。
脳が成長してちゃんと思考ができるようになる前に、ガンガンに育てられて根を張って動かせなくなっていたもの。
それが、ことごとく私の足を止めていた。
そもそも私は「座学」が嫌いだった。
そして、周りの子供たちの会話にまったく興味が持てず、一緒に行動したいとも思えなかった。
私という人間は「学校」という場で求められる行動スキルをことごとく搭載していなかった。
「学校」という世界で生きるのには、とても不向きな人間だったのだ。
だが、親の求める「学歴」を得るためには、その世界で生きられる人間にならなければならない。
実際そんなものにはなりたくなどなかったのだと思うけど、親が大事で大好きだったから自分の本心を麻痺させて生きていた。
「高校」「大学」も自分の意思で選んだ形にはなっているが、親から植え付けられた「学歴至上主義」によって選ばせられた、という感覚しかなかった。中途半端に自分の意思が入ってしまったので、余計性質が悪かった。
自分に嘘をつきながら息をしなければならない。
そして、その空間で強いられる「勉強」という宗教は、私の脳には甚だ高度で耐え難いものだった。
だが、高校を過ぎたあたりから少しずつ思考能力が育ってきていたことと、長年抑圧され続けたエネルギーが爆発して、ちゃんと反抗期を迎えることができた。
その恩恵はとても幸福に満ちていた。
完全に自分の意思でやっていると言えることができた。
全身の細胞が歓喜に震えるほど楽しかった。
結局、己の魂に嘘をつき続けることなんでできるわけがないのです。
そこを振り切るのに、いやはや30年かかってしまい、気が付いた時には自分がやりたいと思っている分野に挑戦するには十分薹が立っていたけれども。
そのころは、自分についていた嘘を細部まで根底まで解析しつくした喜びが大きくて、そんなこと全然気にならなかった。
嘘の正体がわかって、これでやっと自分の世界を生きられると思った。
やりたいことをやろう。やりたいことをやるために生きよう。
そう、思えるようになったことが嬉しくて。
いくつになっても、遅いと言われる年齢になっても、人の勝手な尺度なんて何の意味も持たないとちゃんと思えるようになっていた。
縛っていたものが、いつの間にやら私の世界から姿を消していた。成仏していた。
芸能人でも、もともとその家に生まれて流れでその世界に入って、そのまま大成して…という人がいる。
己の適正を肯定する親の下に生まれて、それを育てる環境もあって、チャンスが目の前にきたときにちゃんと準備ができている…という人がいる。
かたや、生まれたころから目指したいものが許されず、許されない呪いを振り切るのに一生を使い切る人もいる。
この差は何なのかと思う。
前世とか、課題とか、いろいろあるのだろうけれど、公平なのか理不尽なのかわからないスタート時点での差が、結構長いこと苦しかった。
私の生まれた環境、性格、適正、いろいろなものを考えると、生まれたときから28才までずっと「とことん合わない場所」に押し込められ続けていた感じがする。
追い込まれれば追い込まれるほど逃げたくなり、逃げた場所では思考することを禁じられ、自信がどんどんそぎ落とされて自分の輪郭がまったくわからなくなっていた。
その環境の中で、自分のやりたいと思うことをできたかと言われれば、答えはノーだ。
ノーとしか解答できない世界だった。
もっと自分を振り絞ってもっと早くもっと強く……なんて想像することすらできない。
私は一瞬一瞬、精一杯生きていた。
一瞬一瞬、自分にできる最良の選択をしていた。
動ける限り、振り絞って出し尽くしてからっからに擦り切れて生きていた。
己の心に嘘をつくことなく、ほんの些細な心のほころびから逃げることもせず、とにかくバカ正直にまっすぐまっすぐ生きてきたと思う。
その結果、なりたいものに対して「遅い」と言われるような年齢になってしまったわけだけれど、私としては最短距離を全力で走ってきたのだ。
人生に意味などない。これは一つの真実だけれど、私の人生は私にとってはとてつもなく濃厚に意味を湛えまくっている。
時間はかかる。とにかく、何をするにも時間がかかる。
でも「あきらめなかった」という事実の積み重ねが、私の心を何よりも強く支えている。
画用紙を密林で注文した。
15枚1綴の水彩紙を1冊。税別で999円。
一応、注文画面でも確認した。
注文数も価格もちゃんと合っている。
だが、届いたものは。
15枚1綴の水彩紙が15冊。
密林はこういう場合、誤発送ということで返送不要というケースがほとんどらしい。
押し入れの肥やしにするわけにもいかず…。
さてどうするか。
しみじみ言うべし。
一言一言、かみしめて、口から世界に向かって放つのだから、丁寧に慎重に。
言葉に対して礼を尽くし、言葉の一つ一つを尊重する。
言葉の、ほんの小さなかけらに、小さな小さな細胞の一端に、私のすべてが詰まっている。
だからこそ、世界に放つときは丁寧に丁寧に。
仕事にて、ある特設サイトのすべての文言を作成した。
かなり大きなプロジェクトなので、私が手掛けていいのか甚だ疑問だったが、書くのはとても楽しかった。
考えてみれば私はもともと文字を書くのも、文を書くのも、絵を描くのも、歌を歌うのも、お料理するのも、運動も、お掃除も、どれもすべて苦手だった。
人並以上にできるものなんて何もなかった。
好きだということは知っていた。
好きだし楽しいことも知っていたけれど、何一つ、人と比べて遜色ないと思えるものが無かった。
なのに、この歳になって、なぜかいつの間にか文字や文や絵や歌やお料理や運動やお掃除で、人に臆さず好きです、やっています、と堂々と言えるようになっていた。
好きという気持ちがいつもあって、何かそこに関わっていたくて、無意識のうちに何か触れていて、それがずっと続いていて、いつの間にか人前に出してもいいようなものになってくれていた。
気が付いたら育っていた。
すごく不思議な気持ちだ。何だろう。子育てしたことはないけれど、何だか私にとってはこれが子育てなんじゃないだろうかと思える感覚。いつの間にか、大きく立派にちゃんと育っていた。
スキルとか、センスとか、そういう言葉で整理できてしまう類なのかもしれないけれど、私にとってはとても生々しい生命体だ。
今の職場では、その生々しさをとても楽しみながら実感することができる。
何とも。何とも。ありがたい。
年明けに石を買った。
お世話になっているゆめさんのお店で、ブラックサンストーン、桜アゲートのブレスレットを2つ。
とにかく、自分を集中して掘り下げたくて。
掘り下げる作業をしたまま、社会的な顔を維持して仕事をし続けられるほど、もう若くはないらしい。
今考えてみると、中・高時代は、世の理不尽に対する稚拙な解析を延々と24時間し続けたまま、なぜか受験勉強という論理的詰め込み作業が並行してできた。
あれこそ、おそらく若さ、というやつなんだろうな。
全力で怒り、全力で憎み、全力で悲しみ、全力で泣き、全力で笑いながら、地獄とも思える学校生活をちゃんと送って、さらに地獄と思える受験勉強をちゃんとこなせていた。
そもそも若さというものは無自覚なものなのだろうけど、無自覚であるがゆえにその価値に気づいていなかった自分に対して苦笑いしてしまう。
だがおそらく、今こうして若さについて語る自分を、10年後の自分はやはり「無自覚であった」と思うのかもしれない。
パワーストーンと言えば、本当に本当に久しぶりに自分のために買った気がする。
もともと石はとても好きで、小学生の頃に学研の科学などについてきた付録の石を宝物のように眺めたり、触ったり、枕元に置いて寝たりしていた。
今でも、石は好きだ。
石そのものは。
ただ、いろいろな状況が重なって、一時期石そのものに関わりたくないと思うようになってしまっていた。
石が嫌なわけじゃない。
石を見ると思い出す、過去の感情に引っ張られるのが嫌だった。
人は結局、どこかに残した思いに、自覚がないまま引っ張られて、望まぬ道を、いつの間にやら長い距離、進んでいたことに気が付いた時。
ただ振り返り、いつからか分岐していたその道を、感じているようで何も感じていなかったその距離をただただ茫然と計測する時。
静かに見つめる老いが居る。
老いはただ。
ただただ静かに見つめている。
噴き出してしまった。
言ってはならないこと。
どうしようもないこと。
言ったところで、一瞬気持ちが軽くなるだけで、その先倍になって重さがのしかかってくること。
私はたぶん、その時々で最善の選択をしてきたと思う。
選択というものに対して、後悔はない。
だが、最善と思われる選択をし続けたとしても、最善の結果(=己が望む結果)につながるとは限らないのだ。
選択そのものに後悔はない。
だが、最善を越えられなかった己の無力さへの悔しさと悲しみが、呪いのように全身を覆っている。
越えられなかった悲しみは越えることで成仏させるしかない。
暴く、見極める、あきらめる、流す、他にもいろいろ方法はあるが、私という人間にとっての最善は「越えること」なのだと思う。
そして今日はもう一つ。
別の場所でずっと浸食し続けていた悲しみを見た。
神も病に罹るのだ。
己の穢れを穢れと認識することのいかに困難なことか。
そもそも「穢れ」とは何かを己の中に落とし込めている人がどれだけいるのだろうか。
ただただ、申し訳なくて仕方ない。
私にできることは何だろうか。
何かあることだけは感じるのだけれども、無力で無力でどうしようもない。
とにかく吐き出す。
吐いて、自分をたたき起こす。
その作業を繰り返す先に、何かあるのではと、何となく漠然と、でも確信に近い形で感じているのです。
弟がコロナにかかったらしい。
自分も重い病を抱えながら、老いた両親二人の面倒をずっと見てくれていた弟。
家にかかわるすべての仕事をまったく嫌な顔一つせず、いつも驚くほど自然体でこなしてくれていた。
でも、去年一年間は、父が生死の境をさまよう病を抱え、入退院を繰り返すような状況で、心身共に疲労しきっていたのだと思う。
ほんの少し、外に買い物に出ただけで感染してしまったらしい。
日頃から、私とはくらべものにならないくらい用心深い子で、絶対油断はしていなかったと思う。
その証拠に、3年前コロナが流行してからただの一度も感染することなく過ごせていた。
それが、感染してしまったのだという。
どれだけ不安か。
身体的なつらさはもちろんのこと、何が何でも両親に感染させてはならないと、ずっと気を張っていたのだ。
どれだけの辛さを抱えているだろう。
遠く離れて暮らしていることが、こういう時身を裂かれるほど悔しくもどかしい。
とりあえず、何かあったときのために用意しておいたイベルメクチンを速攻で送った。
昨日の夕方に電話で知らされ、その場で荷造りをして今日の朝に届くように送り付けた。
到着後、母から電話がかかってきた。電話越しの声は明るかった。
光が見えた気がした、と言っていた。
みんな、私の想像など到底及ばない不安と恐怖の中にいたことを感じた。
そして、飲み物、食品、など必要になりそうな物を片っ端からアマゾンで買って送った。
食べチョクからもほうれん草と干し芋を送った。
冷凍のおかずも7食分送った。
大村智先生のイベルメクチンに関する著書も送った。
がーっと散財してとっても気持ちがよい。
こんなんで、みんなが少しでも安心して、弟の回復が早まってくれるのであれば、タダみたいなものだ。
明日は冷蔵庫にあるものでお惣菜を作って送ろうと思う。
さすがに、母の負担が大きすぎるので、冷凍のおかずが届くまでの場つなぎ的なものになるが、何か作って送りたい。
私は本来、とっても自分勝手で自分第一で、自分の人生最優先の女なのだけれど、こういう時にスイッチが切り替わる自分が嫌いじゃない。
絶対後悔するとわかりきっていることを、そうならないように動いているわけだから、やっぱり私は自分の気持ち第一なのだなとも思う。
そしてやっぱりそんな自分が嫌いではないのだ。
若者たちは
青春に悔いを残し
自力で自己を肯定できないこじれた大人が
心の奥底のどす黒いものを押し隠し
無理矢理己を肯定したいがために
抵抗の余地がないような力技で
首を縦に振らせるような
都合よく理不尽にツールのように扱っていい存在では
決して
絶対に
未来永劫
ない
NOは言ってよい言葉であると
目線を合わせて
時にはさらに下げて
目の前にそっと言葉だけを置ける
そんな大人に私はなりたい